子育て いじめ 不登校 ひきこもり 暴力 アルコール 薬物依存 拒食 過食症 リストカットなどの予防、解決を考える会。北海道内観療法懇話会 臨床内観療法研究会
 
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自己の人生を振り返る内観
青山学院大学助教授
石井 光

はじめに 
 私が内観に接したのは22年前でございます。経験を重ねる度に内観の素晴らしさを感じています。現代の社会では、私たちは皆自分がどこに居るのか、どこに行くのかわからない状態で急いでいるんですけれども、受験戦争とか、子育て戦争、経済戦争の真っただ中で自分を見失っていることが多いのではないかと思うのです。ですから、一度立ち止まって自分自身を見つめてみることがとても大切なことになるわけです。

 内観は自分の人生を止めて、もう一度自己を振り返る方法です。それも自分のふだんのものの見方で見ていたのではあまり意味がないわけです。私たちは自分の価値観とか快、不快を基準にものを見ている部分にあります。遠足のときに雨が降れば嫌になりますし、雨が1ヶ月も降らなければ雨乞いをする。こういうような形でものをみています。

 自分自身を見る場合でも、かなり自分に都合のいいようにみています。時間に遅れると、私もよく「車が混んでいたので・・・」と言うんですが、大体車は混んでいるんです。それを見越して早めに出れば遅れないのですが、車のせいにして言い訳する。しかし、待たされた人は、何かあったんじゃないかと思っていたことには変わりがない。仮に途中で電車の事故があって遅れても、待たされた人がハラハラして待っていたことにはかわらない。それを車の事故や混雑のせいにしているから自分が見えていない。そして「他人は私をわかってくれない」と言うのですけれども、他人はよくわかっているけれど自分だけが見えていないということが多いのです。ですからその逆のものの見方をする必要があるわけです。

内観の三つの質問
 内観では吉本伊信先生が30年以上かかって開発した三つの質問で自分を見つめていくことになります。その始めは、自分が最も身近な人から、して頂いたこと、二番目がしてさしあげたこと、三番目が迷惑をかけたことです。母親。父親。その他自分が接する最も身近にいる人に対して自分を調べるわけです。
 お母さんから自分が何をしてもらったか、これはふだん考えない質問です。ふだん私たちが考えるのは、親からしてもらわなかったこと、親が働いていたから自分は学校から帰ってもお母さんはいなかった、お父さんは自分がいくつのときになくなってしまっていなかったとか、自分にとって欠けていたことを強く覚えているわけですけれど、こちらが勝手に期待しそれがかなわなかったというこちら側の中での一人相撲みたいなものですから、事実とは関係ない。
 だから、していただいたことを調べるということは、ふだんのものの見方と逆で、例えばお母さんが1日3回食事を作って下されば1年間で1千食を超えますから、10年間で1万食です。この1万食の買い物から食事を作り、お皿を洗って、そして自分がテレビを見て横になっている間にお母さんが片付けているこの1万回をみていくのが内観でして頂いたことは何かということになるわけです。

 その時点で気づいていないことがあります。例えば、子供が公園の砂場で遊んでいる。お母さんがベンチに座っている。お母さんは何もしていないように見えますが、子供に何かあったらすぐ駆けつける場所にいて見守っているわけです。何もしなかったから何もしなかっただけなんです。このことに私たちは気付いていく必要があると思います。

 二番目の質問は、してさしあげたこと、これも例えば、自分は学校の成績は結構いいほうだったとか、運動会で1等賞をとった、みたいなことを答える方が多いんですが、してあげたことというのは、直接肩をたたいてあげたとか、お母さんの食事を作ってあげた、これがしてあげたことでありまして、お母さんのために走ったわけではありませんから、そこのところを私たちは取り違えている。自分がこの人に何をしてあげたか、これが二番目の質問です。

 三番目の迷惑をかけたことも、かけられたことばかり覚えている。かけられたというのも相手が自分の期待を裏切ったということだけの話ですが、そのことは何年も何十年も忘れない。自分がかけたことには気付いていない。すぐ忘れていく。あるいは自分も頑張っていたんだからと言い訳をしたりするんです。受験勉強で頑張っていると、家中の人がテレビの音量を小さくしたりして気を使います。ですから家中に迷惑をかけている。私は頑張ったし合格したからといっても迷惑をかけた事実が消えるわけではない。だから改めてそのことをみていく必要があります。

 そのようにして、お母さんに対して、お父さんに対してどうだったか、過去から現在までずっとみていくのが内観です。これを1週間やりますと集中内観、最近では1週間時間がとれないという方のために、週末内観とか一日内観。あるいは記録内観、皆さんと一緒にする集団内観というのがあります。電話で面接していく電話内観も行われてきています。

 内観を内観療法として治療に使っていくこともあります。自分はどこから来てどこに行こうとしているか、自分の人生の意味がどういうところにあるのかということが、深くやっていくと見えてきます。その辺を失っていることは、ストレスを持っているというのと並んで、あらゆる病気の根本的なところになると思うんです。内観しますとその根本的なところに働きかけが行われていく。ですから多くの病気に大変大きな効果があると思います。

体験から感じていること
 内観は非常に日本的だから日本人にしかできないと思われがちです。たしかに内観の間奏を聞きますと、親に感謝するとか。恩に報いたいとか。非常に日本的な言葉が発せられるんです。研究される方はその言葉を聞いて日本的であり儒教的である、少なくとも東洋的であると感じているんですけれども、しかし内観では親に感謝しなさいということは、始めから最後まで言わないんです。自分を見つめなさい、して頂いたことはなんですか、という方法論として提起されていくわけです。教えられて感謝するのと内面から自然にわき上がるのはかなり違いがあるわけです。

 内観すると、一般に人間に対する尊敬というのが深まると思います。しかし、例えば目上の人に礼儀正しくしなさいとか、親だから尊重しなさいとかいうものとはかなり違う。
 内観をする私の学生はたいてい、親の言うことを聞かなくなります。内観すると何でもハイハイと聞くようになるんじゃないかと思われるのです。
が、内観すると自分が見えてきますから、親がどう言おうと関係なく、自分の行きたい方向に行きたがる、それで親に対しての説得力が非常に強くなります。ですから親はこういう方向に進ませたいというときに、内観した人が別の方向へ向かうと、親に対する反発で言ってはいないので、親の方も非常によく分かるんです。なるほどこいつも大人になったなと認めていくわけです。親から精神的独立が行われるのであって、親の言う通りハイハイというのではないわけです。

 それから細かいことにこだわらなくなるように思います。過去から解放されて。過去を調べるのは今更嫌だという方がいるんですが、嫌だというのは。まだ過去を引きずっている可能性があるわけです。しっかり調べて自分の過去を受け入れますと、過去から解放されていきます。自分を受け入れてネガティブな罪悪感からも解放されていくんです。自由になるというのは道徳的価値観からの自由も含まれます。こうあらねばならないというのではなくて、もう少しよく観察した上で自分の行動が決まっていく。靴を脱ぐときに「きちんとそろえなくてはいけません」と言うのと、靴に対しての感謝とか、あるいはその場の他の方に対する配慮その他でそろえるのとは違うんです。その差があるように思います。

内観による気付き
 私は多くの方の内観面接をさせて頂き、気付かされたことがたくさんございます。というのは、皆さんは1週間自分を見つめていきます。そして私はそれをときどき聞きに行くわけです。面接者として1時間に1回か90分に1回くらい聞きに行き、「どういうことを思い出されましたか」と聞き、「ありがとうございました」と言って帰ってくるんですけれども、1週間ずっとみていく中でその方の心がどんどん変わっていく恨みから解放されて幸せになっていく。それが見えるんです。そうすると人間は、どういうときに不幸せで、どういうときに幸せを感じるかということを教えて頂いているようなものです。

 私たちは自分がこれだけしか持っていない、これだけほしい、と思っていることが多い。そうすると足りないわけです。これだけ得たら我々の心の持ち方が変わらない以上更にこれだけ欲しいとなりますから、永久に満たされない。常にマイナスになります。内観では、これだけしかないと思っているが、この部分本当にそうか、本当にそれだけであなたは生きてきたのか、ということをずっと見ていきますから、これがどんどん広がっていきます。自分がこれだけ欲しいと言っても、では人にはどれだけしてあげているのか見ますと、欲しいという部分がだんだん小さくなっていかざるを得ないのです。

 私が初めて内観をしたときに気付いたことは、母に対して何もしていなかったといことです。外国に旅行させてもらったとき、父にネクタイを買ってきたんです。母には「道を聞いたりしてお世話になったら渡しなさい」と言って、小さなこけしを1ダース頂いた。それをいろんなところで「ありがとうございました」と渡し、一つ残りました。これが母へのお土産だったんです。今でも母は「息子のヨーロッパ土産です」と大事にしています。そういうことを思い出していきます。

 初めのうちは、してあげたことがなかなか見つからないとか、思い出せないと思っていたんですが、やっていないんじゃないかと思ったんです。1週間も調べて思い出せないんですから。そのうちに、自分が母に何かをしてあげようという気持ちを持ったことがなかったことに気がつきました。これは大ショックで、そうすると他の人に対しても同じようなもんじゃないかということに気付いたわけです。それなのにまだ足りない、まだ足りないと言っているから不幸せなんです。内観で、してもらったことを調べていくことは、そこに気がついていくことになります。

病いと幸せ
 私は面接官としての体験の中から、病気が治ったところで内観をやめてしまう方が多く、とても残念だなぁと思うんです。病気は治ったけれど不幸だというのと、治らないけど幸せだというならば、やはり幸せの方がいいんじゃないかと思うわけです。病気が治ったらやめてしまう、これではもっと深いところまでいかないと思うんです。そのようにして更に自分を深めていくということでないと本当の解決になりませんし、河合隼雄先生に伺ったのですが、ユングはアルコール依存症の場合は宗教レベルにいかないと治らないということを言われているそうなんですが、そこまでずっと自己を突き詰めていくということが本当の幸せでないか、それでしたらアルコール依存所になったことを喜べるんじゃないかと思うんです。

 現代病はストレスからくると伺っています。心臓病も脳卒中もそうですし、ガンの進行もずいぶん違ってくるそうなんですが、内観はストレスを解消する一つの有効な方法なんです。ただ、治療する方々がストレスを抱えていると、患者さんにストレスが伝えられていくと思うんです。ですから、治療に当たる方々にストレスがなければ、患者さんのストレスをとることができると思います。治療にあたる方が幸せならば、その幸せが患者さんに伝わると思うんです。治療にあたる方々が自らを見つめ、ストレスをとってまず幸せになって頂きたい。このように感じるわけであります。そのようにすれば患者さんの心を変えていく力が出てくるということになります。同じ薬でも効き目が違ってくるだろうと思うわけです。

 患者さんは非日常の中にいるわけです、患者さんに日々接している方はそうではないんですけれど、患者さんは非日常の生活です、学校の先生にも言えることですけれど、先生にとって生徒はたくさんいるけれども、生徒にとって先生は一人であるわけです。この非日常の世界の中で患者さんは皆様の愛を、温かさを必要としていると思うんです。

 皆様のお一人、お一人がともしびをかかげ、これからも更にたくさんの方が救われていくことをお祈りしております。


 札幌太田病院50周年記念講演「内観―欧米における広がり」について、その一部を石井先生のご校閲をいただき掲載しました。





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