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内観の効用
札幌太田病院 内観指導員
綿貫 弘

内観の効用 
 内観に携わってきて思うことのひとつに、内観の取り組み方によって効果的である場合と、あまり効果がない場合とがあることです。そこでその差異が生ずる―考察として、内観の効用を主眼にして述べさせていただきたいと思います。

 “なぜ内観するのですか”と聞かれたとき、端的にお答えするものとして「自分の心を、より健康に保つためのものです」とご返事しているところです。なんとならば、心と体と私たちをとりまく周囲の関係は、歯車で言えば、この三位が良好にかみ合っていなければならず、この歯車の1つでもひび割れが生じると、3つの歯車の回転はスムーズにいかなくなります。これは人間としての不適応が次第に増大していることに類似しています。こうした関係において体の不調の時には自分でも気づいて薬を服用したり病院に行くなどしてふだんから健康に注意しますが、こと心の健康ということでは、家庭や学校もしくは職場で問題行動が生じないかぎり、自分の心が次第に不健康になっていても自分では容易に気づかないのが人間の「心の世界」ではないでしょうか。

 そこで、この「心の世界」に着目して考えてみたいと思います。

 心が作用する人間の精神活動をみるとき、意識されている部分の奥に、もっと広い無意識の世界があることは、西洋ではオーストリアの神経科医、フロイト(1856〜1936)が発見しているところです。それは大海に浮かぶ氷山が、海面に姿を見せている部分よりも、その下に隠れている部分の方が数倍も大きいように、人間の精神活動は意識されている部分よりも、無意識の部分の方が深く広いのであります。

 ところが東洋においては、この深層心理の発見よりもはるか以前から、仏教の唯識学派が「九識論」で、私たちの心、命の真相を解明しているのです。

 それは先ほどの氷山に例えれば、海面上に見える部分が私たちの日常的な意識に当たり、海面下の無意識の心の領域を七識「未那識」(マナシキ)と八識「阿頼耶識」(アラヤシキ)、さらには九識「阿摩羅識」(アマラシキ)で明かしているのです。それは海面上の六識までのうち、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識の五識は、色や形を見る・音や声を聞く・においをかぐ・ものを味わう・手足膚で感じるなど、感覚器官によって生じる“美・醜”とか“快・不快”といった感覚的な識別作用となっているわけです。

 それに対して私たちが自覚している心の働きが六識の部分で「意識」といわれているところです。ここでは心や思いがさまざまに働きかける対象に触れて判断したり推量する作用をもっている部分です。ところがこの心の奥に七識「未那識」があって、ここでは意識をもっと深いところから操作している部分で、理性とか知性を起こし、善悪や正邪の判断と煩悩や迷い、さらには愛憎の心や我見もここにあります。ところがその更なる奥に八識「阿頼那識」があり、七識までの一切の行為、つまり過去から現在までの諸活動や言葉、その時どきの思いや感情が、その結果となって八識に納められ、一方では今後の七識までの一切の現象を生む種子が八識にあるのです。ですから人間性を変えようとするとき、この八識で変容を起こさないと、その成果は一時的であるなど効用は乏しいのであります。

 このことを昨年5月京都から当院にヨーガのご指導に来られた渡辺臣先生はコンピューターに例えて“八識つまりアラヤシキの部分で悪いものを取り除き、よいものをインプットすることによって人間性は高まる”旨を話されていました。以上のことから言えますことは内観法において変容を来たそうとするとき、心の浅い部分におけるものであっては、前述のとおり効用は乏しいのであります。

 なお九識「阿摩羅識」は古代インドの文章語(Sanskrit)から“根本浄識”と訳され、すべての心の湧き出る源泉で、元々は清く汚れない広大無辺の境地となっています。日蓮聖人(1222〜1282)はこれを「九識心王真如の都とは申すなり」と仰せですが、こと内観においてはせめて八識「阿頼耶識」における内省こそが、やがて自分の本当の姿を知り悟りとなっていくのです。

 心の世界では、わかることは治ることにつらなり、ましてや人間の心には、心の復元力がありますから、自己中心的で利己的な自分を知ったとき、不平不満が解消して報恩感謝の気持ちが沸き出て、そこから次第に心が平安で明るくなり、人に喜ばれることによって生きがいに満ちてくるのであります。また別の角度からみるとき八識「阿頼耶識」の心の深層の部分を私たちの脳に置き換えれば「脳の奥の院」つまり間脳の部分に相当するものと思います。間脳は視床並びに視床下部と相まって意識行動とか精神作用など高次な働きの中枢となっているからです。これを内観研修所(奈良県大和郡山市)の吉本先生は“悪いことと分かっていながらまた繰り返すのは表面の意識だけが分かったにすぎず、それを間脳にまで分からすために内観をするのです”と述べられています。(吉本伊信著「内観の話」24ページ)

 さて、以前の職場における砂川市立病院の佐藤先生の講演で、余暇開発センターが全国の医者に実施したアンケートで「病気を治すのは医者が施す治療」との回答が24%、「病気を治すのは、その患者の回復力」とした回答が76%だったそうです。そしてさらに付け加えられ「医者の施す治療は確かに元気づくが、生命の脈動とまではいかない。ところが“こんなことではいけない”と気づいて薬や注射に頼るだけでなく、自分の弱い気持ちに勝とうとするその気構えが、その人の生命を脈動させる」というものでした。

 内観法による深い内省は、やがて自分の本当の姿に気づかせてくれます。

 ここで奮起するとき、心の復元力と相まってさらに「健康な心」の持ち主に改革されるのであり、そこに内観の効用があるのではないでしょうか。





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